聖徳太子ゲーム
^.^聖徳太子ゲームって知ってますか。きょうは、そこから話が展開します。
先日、テレビの前を通りかかったら、フジテレビ「笑っていいとも」のテロップに「めざせ!聖徳太子」の文字! その場にたたずんで、CM明けを待つ。

 案の定というか、お客さん全員が同時に言った二つ言葉を聞き分けるというゲームであった。実際に、こういう「聖徳太子ゲーム」というのがあるらしい。複数人が言った複数の言葉を聞き分けるというゲームである。

 なぜ、これが「聖徳太子ゲーム」なのか。もちろん、聖徳太子が複数人の言葉を聞き分けたという逸話から来ている。

 そこに、いいタイミングで「聖徳太子は一度に何人もの人の話を聞き分けることができたという有名な話がありますが、その人数が7人という人もいれば10人という人もいます。本当のところは何人なのでしょうか?」という質問を受けた。

 じゃ、お答えしましょう!

 『日本書紀』 推古天皇元年4月10日条 厩戸くんが皇太子になったときの記事の中に「壮(おとこさかり)に及びて、一(ひとたび)に十人の訴えを聞きたまいて、失(あやま)ちたまわずして能(よ)く弁(わきま)へたまふ(厩戸皇子は壮年にいたって、一度に10人の訴えを聞いて、間違えなかった/やん意訳)」とあります。ここでは、厩戸くん、一度に10人の言葉を聞くことができます。

 『上宮聖徳法王帝説』では、「長大の時に至りて、一時に八人が白(もう)す言を聞き、その理を辨(=弁・わきまへ)る(厩戸皇子は大きくなってからも、一度に8人の言うことを聞いても、それらをよく理解していた/やん意訳)」とあります。

 両方ともよく似ていますが、10人と8人と人数は違いますが、ほぼ似たようなことを書いています。
これは厩戸のもう一つの名前、「豊聰耳(とよとみみ)皇子」という名前からきているのではないかと思われます。実際には「トヨトミミ」というのは古代の名前としてはそんなに突拍子もない名前ではなく、特別「耳」に対して意味がある名前ではありません。しかし、厩戸皇子が信仰化される過程で、こういう超人的な伝承も生まれてきたのだと思います。

 時代はくだって、平安時代における聖徳太子伝記の集大成といわれる『聖徳太子伝暦』では、11歳のときのエピソードとして次のように伝えられています。(やん意訳)
 「太子は36人の童子と園中で遊んでいました。左に2人、右に2人を侍らせ、左に4人、右に4人を立たせ、さらに前に24人。この34人が口々に各々の志を言いました。それを聞いていた厩戸皇子は、それらに対して一つ一つ答え、一語として落とすことをしなかった」
 何と人数は36人に膨れ上がってしまうのです。しかも、大人になってからではなく、まだ11歳という子どものころからそういうことができたという“スーパー聖徳太子”になっていったのです。

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